御城印発行の経緯

こちらの御城印の『原氏館』ですがその在りし日の姿を伝える物は角田商店様が移設保存されました御門のみとなっております。

かつて平成半ばの世に在った跡ではなく『完全たる現役の』中世館は行政への調査・保存の直談判もむなしくロクに調査もされずに開発で破壊されてしまいました。
しかし此の度、奇跡的な巡り合わせによりこの御門の在りし日の姿、館・御門の由緒などがごく限られた僅かな方からのお話により見えてくるようになりました。
それらは歴史文献の様な体裁でなく各人々の話によってのものであり、まとまって初めてこうした形になるものでした。

上記の通りすでに館は破壊されて久しく、更には破壊された後にこの御門が大事な物である事を認識していたのは角田様と自分長永のみでした。
今まとめねばこれは間もなく永久に失われるのは確実と思いここにまとめました。
御城印を通して岩槻だけでなく全国の人々へこの情報が残ってくれる事を期待します。

御城印『原氏館』

・家紋
家紋は3つ押させていただいています。
武田菱・・・甲斐武田二十四将の一人、言わずと知れた武田菱です。
十曜・・・原氏の家紋になります。現在も墓所にはこの家紋が入れられています。
三階菱・・・御門に入っている紋で、これは正確には家紋ではなく、近代の原氏の御事業での社紋になるそうです。

・文面
この館は『原美濃守虎胤公の子孫の方が代々住まわれていた』という事でこの記述となっています。

武田菱
十曜
三階菱
台紙に和紙を使用
御門がかつての館にあった時の姿
移設された現在の御門・岩槻 角田商店様

原美濃守虎胤公ゆかりについての説明

この館についての由緒については現地周辺もすでに新興住宅が多くなり聞き込みなどは困難ですが、それ以前でさえも『原さんの屋敷』という程度の情報しか出てきませんでした。
しかし、地方史研究会の方からのお話と更には角田様が移築時に『その様な話を聞いた』と一致したことで初めて御由緒へのとっかかりが出来ました次第です。

「御城印発行の経緯」に書きました通りこれを裏付ける確固たる資料はありません。
また、かつて当地にいらした原様方も近代にはこの館は別荘地としての扱いで岩槻には居られず、ここはもう随分前に手放されておりお話をお聞きするのも叶いません。

確実に言える事はかつてそう昔でない時にここに立派な『館が現役で存在していた』という事です。
次いで確実なのが原虎胤公のかは分からずとも『原』の一族で代々特徴たる通字の『胤』の一字が受け継がれた方々がお住まいであった、という事です。
(郷土資料の『岩槻大百科』のは行に人物記載あり。当人物をネットにて検索可能)

※ご注意※

以降の内容は、ただのアマチュア史跡探索者が自分の出来る程度でまとめたものになります。
現地探索や聞き込みと僅かな関係資料などによるもので、一級資料の原文からあたる様なレベルのものではありません。
現時点や当時の時点で分かった事にも推測等がかなり含まれますので、これらはあくまでも踏み台程度にお考え願います。
むしろ、確固たる正式調査をいただきたい(いただきたかった)次第です。

原氏館

さいたま市岩槻区釣上新田にあった中世館です。
正確な系譜は不明ながら、甲斐武田二十四将の一人・原美濃守虎胤公の子孫の方が代々住まわれ、近代更に御事業で大成なされてからは、この館は別荘地となっていたそうです。現在の御門に使われている『三階菱紋』も、この時の社紋であるようです。

上記の通り、この館は近代まで別荘地として維持されていた為、跡地ではなく現役の館として2014年頃に開発で破壊されるまでは完全な姿で現存していました。

規模は大まかに100×100mの方形ですが、正方形ではなく若干ひし形の様になっていました。また後述の様に北東部のみ角を落として丸める処理がされていました。
周囲は2~3m程の水堀と、同じく2~3mの土塁が完全に巡っておりましたが、北東部のみ方形の角を落として丸めてあり、その内側の土塁も、櫓台かの様に他より高くしてありました。その塁上には祠らしき物が見えました。
それら一連の様子から、信州上田城で有名な、鬼門除けの『隅欠(すみおとし)』の様な作法ではないかと考えられました。

虎口は当時の様子からは、御門のあった南側の正門のみだった様です。

土塁上には前面に整った生垣や樹木が植えられており、館内の様子は全く見えませんでした。立派な蔵があったのだけ確認出来ました。また、特に史跡認定もされていなかった為、残念ながら館内の遺構の様子については一切情報がありません。

当地では『原さんの御屋敷(または館)』と呼ばれてはいましたが、先の通り近代は別荘地となっており、管理の方しか居られなかった様で、詳しい御由緒などを御存知の方はいませんでした。

なお、今となってはもはや不明ですが、館北西部の辺りの堀幅が妙に狭まっている印象で、当時この辺り竹も茂っていて定かでありませんでしたが、もっと過去には隣の敷地側に橋等の連絡があった可能性(複郭の館だった可能性)があります。
古い航空写真などを参考にいただくと、上空から見ると屋敷森が一体化してしまっており、雰囲気は分かるかと思います。

原美濃守虎胤公と、岩槻の原氏について

原美濃守虎胤公は、あの山梨の有名な甲斐武田家に仕えた武将で、武田二十四将の一人として数えられる人物になります。
非常に武勇に秀でた武将といわれており、『鬼美濃』とも呼ばれました。
その虎胤公のご子孫が、どの様にして岩槻の地に落ち着かれたのか、その経緯の分かる定かな資料はございません。
しかしその他の資料と合わせる事で、僅かながらに分かる事がありました。

まず、原美濃守虎胤公も名乗る『原氏』とは、千葉県の名の由来にもなった名族・千葉家の分家で、千葉家の重臣として繁栄していた一族です。
千葉氏・原氏共に、代々『胤』の字を通字として使用し、妙見信仰を行っているのが特徴になります。
虎胤公は戦によって千葉より山梨へ落ち延び、武田家に仕えて活躍します。

さて、同族の原主水胤信公は千葉家中随一の重臣原氏宗家の嫡流でした。
後北条氏の傀儡政権の千葉家中にて勢いあった同氏でしたが、小田原征伐で後北条氏が敗れて共々没落の後は、徳川氏に仕えます。
しかし、その後キリスト教禁止令の際に、キリシタンとなっていた胤信公は、棄教せず、『岩槻に住んでいた原一族を頼り』出奔します。

胤信公は岩槻に潜伏してキリスト教活動を行いますが、岩槻藩によりあえなく捕まります。
この時に頼った一族とは、資料によっては別の原氏の粟飯原氏とも見えます。
ただ、これだけの至近距離で原氏一族が集まって何も関係しないというのは不自然なので、何かしらあった可能性が考えられます。連座は免れたという事かと思いますので、関わりがあったとしても、もう無かった事になっているのか?とも思われます。

千葉氏および原氏の特徴で、妙見信仰を挙げました。
この岩槻の地域は、現在に至るまであまり妙見信仰が盛んな様子はありませんでした。神社の分布でも東西を氷川信仰と香取信仰に挟まれ、真ん中岩槻上を久伊豆信仰が通る様な位置になっています。
しかし、僅かにだけ妙見信仰が横根の北辰神社(かつては妙見社)、妙見河岸の名にもなっていた北辰神社(こちらもかつて妙見社)、南下新井に今は現存しない妙見社がそれぞれあった事が分かっています。何も無ければ発生しない信仰なので、関連する可能性があるとみています。

岩槻南部にて、近代においての当館の原氏と思われる方の活躍が見受けられます。近代は個人情報に近い為伏せますが、胤の字も継承されていました。

・・・非常に不思議な事ですが。
意外とこの原氏館の地の周囲には、実は甲斐武田家中に関係する氏族が居た事が分かっています。
お隣の越谷市の照蓮院は、同じ武田二十四将が一人・秋山信友公の一族が、武田家の遺児を伴い落ち延びたのが始まりとされます。
同じさいたま市内では、北区土呂町の土呂陣屋は、武田家臣の初鹿野信昌公が徳川氏に仕えてのものです。

そして岩槻内では南部の尾ヶ崎新田の新田開発を行った真々田氏は、岩槻の歴史を学ぶ会発行の『岩槻大百科』より、尾ヶ崎新田の部分を抜粋致しますと、
『村の開発は、本村尾ヶ崎新田の真々田家分家の真々田家(屋号七棟)の初代真々田利左衛門が開発の人である(『真々田家過去帳』)。真々田家は、旧姓を〝真田〟と称し、大坂城落城後に尾ヶ崎村付近に土着し、姓を〝真々田〟に改めたと伝えられている』
とあります。真田氏はやはり幸隆公,信綱公が二十四将に名を連ねています。

更に、これを書いている自分・長永の名は、当家中興の祖で武田軍の軍易者だった修験者長永の名を用いています。
当家に伝わる口伝では、当地に落ち延びて武田家再興を待つとありました。
当家の墓所も、原様の墓所も同じ集会所にあります。
特別なお話は何も伝わっていませんが、もしかしたら、真田氏以外はそれぞれが同じ一行で落ち延びたのかもしれません。
現状正解は無いですので、もしかしたら、いつか武田再興を待つ為に固まっていたのかもしれないなどと夢に思うのも良いかもしれませんね。

岩槻駅西口 角田商店さんで販売中

岩槻では販売元が指定した店舗のみで御城印や武将印を取り扱っております。
お店の定休日や急なお休みもございます。特に日曜日はお休みの場合がございますので、お手数ではございますが事前にお店にご確認をお願い致します。

  • お店が閉まってたなど、岩槻駅の観光案内所さんにクレームを言われる方が増えているようです。
    岩槻観光案内所さんへのクレームは絶対になさらないでください。
  • 岩槻観光案内所さんは岩槻を案内する事が役割であって、御城印や武将印などの問題に対応して頂く所ではございません。
  • 掲載されている店舗様は委託販売をされているだけですので商品に関してのご意見などは下記に明記している御城印・武将印の販売元にご連絡ください。

御城印などの販売に関してはまだ岩槻は始まったばかりで至らない部分もあるかと思います。
他はこうこうだ・・・というご意見も頂きますが様々な事情で他と同じようにしたくても出来ない事が多くございます。岩槻は岩槻のやり方でゆっくりになりますが前に進んでまいりますので温かい目で見て頂けると助かります。

ショップ名 お米の専門店 角田商店
所在地 〒339-0057 埼玉県さいたま市岩槻区西町1-3-24
電話番号 048-756-0147
FAX 048-756-0153
営業時間 9:30~18:00
定休日 毎週水曜日
駐車場 数台
HP/SNS Instagram Facebook Web Site
備考
  • 2000円以上のお買い上げで送料無料

このページの商品に関するお問い合わせ

販売元 いわつき武者の倉
電話 090-1791-1802
メール f14fov@gmail.com
企画製作 長永(本格格闘甲冑集団 -式- 正式メンバー)
デザイン キラリいわつき

岩槻駅西口 角田商店さんで販売中